牛丼
1月17日で阪神・淡路大震災から30年が経ちました。
少し前、ネットの記事で「震災の時の炊き出しの牛丼の味を思い出し1月17日には吉野家を訪れる」という記事を見ました。
なるほどと思って、先日吉野家へ行ってきました。
ただ牛丼が食べたくなったから…だけではありません
30年前の朝、神戸市東灘区の自宅で大きな揺れで目をさまし、自宅は住める状態ではなかったため、三日間避難所の小学校の廊下で寝泊まり。
神戸である程度ちゃんと生活できるようになるには時間がかかりそうだから、家族は避難させようと両親は判断したのか、発災から三日たった夕方に神戸から岡山に向けて出発。通常なら3時間ほどで着くはずが、火災も多かった西方面には進めなさそうなので、一度大阪方面にでてから岡山に向かい、結果15時間かけて岡山の父親の実家に到着しました。
途中、倒壊している建物を見ながら、救急車両のサイレンやヘリの音を聞きながら、歩くよりも遅いスピードで2号線を東へ。
ようやく渋滞をぬけて、真夜中に大阪の手前で食べることのできた、何日かぶりの暖かいごはんが吉野家の牛丼でした。
美味しかったです
生まれてはじめての吉野家だったからでしょうか。
それとも、幼いなりに不安を感じていて緊張していたものが、温かいご飯とともにほぐれて記憶に残っているのか。
思い出ごはんというやつですね。
その時父親に「紅生姜入れたら美味しいで」とすすめられ、それ以来牛丼の時はたくさん紅生姜入れる派です(関係ないですが、つゆだく派です😉)
この日ばかりは、震災の当日の朝、私のお弁当をつくってくれていた母親(倒れてきた食器棚に閉じ込められました)と、発災からほぼ四日間まともに寝ず、最後は岡山まで運転してくれた父親、岡山で仮入学して生活をささえてくれた家族に感謝です。
また別で、先日お打合せさせていただいたお客様は、震災を経験して以来ずっと家具が怖かったとおっしゃっていました。
造り付けの造作家具は、パルステージでは得意にしてよく製作していますが、「ずっと箪笥が怖かった」というリアルな声を聞くのはひさしぶりで、はっとしました。
震災を経験した神戸の工務店だからこそ、建物の安全性を最重点に考えるのは勿論のこと、箪笥など家具の転倒の心配のない造り付けの家具も、意識してご提案していきたいと思った1月でした。
Koumoto