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pal stage

父の日に寄せてーおやじの話ー ②

前回までの話

ー志願ー

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ー大和乗艦ー

 

当時「大和」の基地はトラック島(現チューク諸島)というところにあった。

そのため、海兵団を卒業後、私は横須賀から古い海防艦に乗って一週間程かけてトラック島まで行き、そこで大和の帰港を待った。

 

乗り込むことが出来たのは昭和十八年の正月過ぎだった。

 

12、3人がランチボートに乗せられて、沖合に停泊する大和に向かった。

大和を取り囲むように駆逐艦が何隻もいたが、大和の大きさに比べるとあまりにも小さく、まるでボートの様に見えた。

だんだん近づいて、間近に大和を見たとき、その大きさに圧倒され、海面から見上げた艦橋が自分に覆いかぶさってくるかのような錯覚に襲われた。

 

艦橋は海面から見ると四十メートル以上の高さがあった。

 

大和ミュージアムの写真をお借りしました

 

艦は全長約270m、最大幅約40m。という大きさであった。

 

甲板に上がって最初に驚いたのは、私の目の前を一人の士官が自転車に乗って走りすぎたことである。

船の上で自転車に乗っていることが信じられなかった。

 

大和はその大きさに加えて、一発で敵戦艦を沈める威力があると言われた口径46cmの主砲を搭載していた。

 

とにかく、艦というよりも、海の上に浮かぶ要塞のようであった。

 

甲板に上がって整列し、それぞれが自分の配属の知らせを待った。

 

私は第十四分隊運用科の配属となった。緊急時の艦内注水や消防活動が主な任務だ。

 

運用科の任務をこなすには艦内の設備、配置を全て知っておく必要があるということで、先輩水兵が艦内をあちこち案内してくれた。

 

艦内で赤、白、青の光が回っているのを目にした私は、案内役の先輩水兵に「あれは何でしょうか?まるで散髪屋ですね」と聞いた。

すると先輩水兵は「そうだ、散髪屋だ」と平然と答えた。

 

そして「散髪屋だけじゃないぞ、洗濯屋もあるからな。色々な土地に上陸した後には、「ばい菌」を艦内に持ち込まないように、必ず服を洗濯に出すように。」と付け加えた。

 

トイレにもまた驚いた。大和には前部、中部、後部と三つのトイレがあった。

小用を足す朝顔便器がずらりと並んでいて、大便用には洋式の水洗トイレがあった。

私はこの時初めて洋式トイレを見た。

 

さらに、エレベーターもあり、おまけに冷房設備も完備されていた。

 

三千人以上もの人が居住しているのだから、考えてみれば一つの村がまるごと艦内にあるようなものだった。

 

驚いたことは他にもあった。私達新兵にもハンモックではなく寝台が与えられたことだ。

 

この頃、駆逐艦などの狭い艦内ではハンモックで寝るのが当たり前だったが、大和では壁についている寝台を倒して寝ることができた。これは本当にありがたかった。

 

 

大和には山本五十六長官も乗っておられた。

毎日、軍艦旗掲揚の際、整列している私達の前を右舷の方から後甲板に向かって、敬礼しながら歩いて来られる。

丁度自分達の前を通られる時には皆最敬礼するのだが、長官は一番前の列を見ながら通られる。

その為、私は毎日できるだけ早くいって一番前に並んだ。

その威厳と風格を備えたお姿を、間近に見られると言う事が嬉しかった。

 

その約1か月後、長官は旗艦が武蔵に移ったために大和を去られた。

 

→大和艦内の生活へとつづく

 

M.

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